2009年06月04日
リストラ
2001年わが社は求人広告雑誌にアルバイト募集をしました。
すると最初に女性から電話があり、「義理の弟を是非お願いします。」とのことで
面接をすることになりました。来てビックリ・何とアメリカ人の黒人さんでした。
彼の名前はジョン。お兄さんがネイビーでインデペンデントと共に家族で来日しました。
義理のお姉さんがあまりにも熱心なので、採用することにしました。
日本語は全く話せず・・・会社のルール、日本の習慣などから根気良く教えましたが、終業のベルが鳴る際はすでに
着替えをしていて、タイムカードを押してすぐ帰り、人の手伝いは一切せず、そのたびにいちいち教えました。
いきなり他人の仕事を手伝わせるから駄目なんだ、そう思い、みんなでジョンの仕事を優先して手伝ってあげると
段々チームワーク意識が出てきて、進んで自分も他の人の仕事を手伝うようになり、嫌いな残業もやるようになりました。
徐々に大和魂を教え・・・ちょうどその頃日韓ワールドカップがあり、日本が敗退した翌日に、ジョンは「あれは勝てた試合だ。僕は悔しい。と真剣に僕に話をしました。」ジョンにも日本に対する正の気持ちが生まれてきたのです。
つづく
すると最初に女性から電話があり、「義理の弟を是非お願いします。」とのことで
面接をすることになりました。来てビックリ・何とアメリカ人の黒人さんでした。
彼の名前はジョン。お兄さんがネイビーでインデペンデントと共に家族で来日しました。
義理のお姉さんがあまりにも熱心なので、採用することにしました。
日本語は全く話せず・・・会社のルール、日本の習慣などから根気良く教えましたが、終業のベルが鳴る際はすでに
着替えをしていて、タイムカードを押してすぐ帰り、人の手伝いは一切せず、そのたびにいちいち教えました。
いきなり他人の仕事を手伝わせるから駄目なんだ、そう思い、みんなでジョンの仕事を優先して手伝ってあげると
段々チームワーク意識が出てきて、進んで自分も他の人の仕事を手伝うようになり、嫌いな残業もやるようになりました。
徐々に大和魂を教え・・・ちょうどその頃日韓ワールドカップがあり、日本が敗退した翌日に、ジョンは「あれは勝てた試合だ。僕は悔しい。と真剣に僕に話をしました。」ジョンにも日本に対する正の気持ちが生まれてきたのです。
つづく


